”女性”としての充足と”牝”としての充足。
今まで、私は過去にお付き合いした女性たちとの経験を通じ、
愛情と性の快感は別のモノであることを知っているはずでした。
どれほど愛情が深く、身持ちの堅い女性であったとしても、
性の快感に流されるのは仕方のないことだと嫌になるほど実感して
きたはずでした。
それにも関わらず、Yに関しては別だと心のどこかで
思い込んでいる自分が未だに存在していることに改めて
気づかされたのです。
Yはどう答えるのか…。
私は固唾を飲んで成り行きを見守りました。
Yは私の様子を伺うように、微かにこちらに顔を向けました。
そして俯くと、「…言えません」と小さな声で呟いたのです。
Nさんは、「私達の間に隠し事はないはずですよ」
と言った後で、Yの言葉を待ちました。
Yは小さく「ごめんなさい」と私に向かって詫びました。
そして、「切ない…です」と続けたのです。
その後に続く言葉は、私にとって、非常にショックなモノでした。
出来れば触れたくありません。しかし、向き合わねばならない
Yの”素”でもあったのです。
Yは切々と、熱海の夜に感じていた気持ちを吐露しました。
ひと言でいうなら、それは”雄”に貪られる”牝”としての悦びとでも
言えば良いのでしょうか。
あの夜、私は”雄”として欲望のまま、目の前の淫乱な”牝”を犯しました。
そこにあったのは労りや思いやりよりも、目の前の”牝”をもっと”啼かせ”たい。
自らの”雄”で”牝”を屈服させたい。征服したいという狂おしい衝動でした。
Yも私の”S性”に感応するように、自分の中に潜む”M性”を解放したのです。
それはYによる問いかけでもありました。
…好きな男のためならば、アナルすら舐めるような
淫乱な自分でも受け止めてくれますか?という。
そして、私の「淫乱な女だな」という言葉をかけられた時、
受け入れてもらった。そう感じていたのです。
しかし、一旦は受け入れられたと感じたにも関わらず、私は刹那の悟りの中に
ありました。”S”としてYを求めるどころか、ノーマルな性に充足しきっていました。
Yは混乱していました。女性として”心”はかつてないほど充足はしている。
しかし、”牝”の行き場がどこにも見つからない状態に陥っていたのです。
語り終えたYは微かに泣いているようにも見えました。
私は何も言うことができず、ただ座っていました。
私にはYの気持ちが何も見えていなかったのです。
Nさんが再び口を開きました。
「”牝”としてのYはどうして欲しい?」と尋ねました。
Yは俯いたまま口を噤んでいました。心の内で幾度も言葉を反芻し、
それを口にするのを躊躇っているようでした。
Nさんは静かに立ち上がりました。
気配でそれが解ったのでしょう。Yは身を固くしました。
NさんはYの目の前に立つと、そっと顎を掴み、口を開かせました。
そして、Yの小さな唇の中に骨張った中指を挿入したのです。