Nさんは、「帰るべき場所であろうとしているのは、mitsuさん自身では
ないですか?」と指摘したのです。
つまり、器の大きな自分-Yに限らず、どのような人からも尊敬されるべき人間であろうと
私自身が常に虚勢を張って自分を大きく見せている。何事にも動じず、受け止められるだけの
器量を持つ虚飾の私を演じているのではないのですか? という指摘だったのです。
私は認める他ありませんでした。
私の中に、器の大きな人間でなければ他人から受け入れられないという思いが常に存在する
のです。嫌なことや、受け入れがたいことがあったとしても、器が大きなふりをするために、自分が
我慢する。内心では「普通」の人のように気分次第で断ったり、些細なことで怒ったりしたいが、感情を
表に出すことが出来ない。自分の素直な感情-ちっぽけな自分を露わにしてしまったら、人に嫌われる
という恐怖に近い感情があって、嫌われるくらいなら我慢する方を選んでしまうのです。
恐らくそれは、私が兄弟の長兄であり、幼い頃から何かにつけ我慢させられてきたという
生育環境の生んだ歪みなのでしょう。長兄である私は、幼い頃から何でもそつなくこなす
手のかからない子でした。-いえ、そうであろうと必死にもがいてきたのです。両親に好かれる
ために。対照的に弟は手のかかる甘えん坊。故に、両親は私に対して出来て当たり前として放置に
近い扱いをしました。褒められた記憶も数えるほどです。対する弟は、手がかかるが故に両親の寵愛を
一身に受け、何かあると褒められ、事ある事に物品を買い与えられました。
「リバー・ランズ・スルー・イット」という古い映画があります。
天使のように美しく、天真爛漫な弟を持った、愚直で不器用な兄の苦悩の話です。
我が家もまさにあの映画同様の家庭でした。
無邪気で陽気な弟は常に家族の中心でした。
弟の回りには常に誰かの楽しげな笑い声がありました。私は口べたで面白い話も出来ず、
家族の輪に仏頂面で加わっているような状態でした。
私は内心、両親を独占する弟を憎みました。内気な私と違い、明るく誰とでも
打ち解けられる弟をそねみました。しかし兄としてのプライドが、そのみっともない劣情を
心の奥底へと押し殺しました。
そして私は「兄」という憎むべき役割から生まれた、器の大きな自分という
虚飾の仮面を被ったのです。家族(他人)に受け入れられるために。
…そう、皮肉なことに、私とYは裏表の存在でした。
私は華やかな弟に。Yは華やかな姉という肉親にスポイルされてきた人間だったのです。
さらに皮肉なことにYは、私の虚勢に惹かれ、甘えていたのです。
Nさんはなおも言ったのです。
「Yさんは、あなたの器の大きさに甘えながらも、虚飾という
壁に阻まれて、本当のあなたに触れさせてもらえない。拒絶されているように
感じるからこそ、無意識に接触を拒んだりするのかもしれませんね」と。
そして、相互オナニーを通じて、着実にあなたたちは近づいている。
でも、あなたが虚飾を脱ぎ捨てて、自分の「弱さ」をさらけ出せない限り、
現実に踏み出すことは出来ないと思いますよ、となおも指摘されました。
その後で提案されたのです。
「Yさんにあなたの性癖を打ち明けてみたらどうですか?」と。