私はYが感じた”目”のことをNさんに相談しました。
(この頃はメールではなく、ネットを介して音声で
会話するようになっていました)
Nさんはしばらく考えている様子でした。
が、ややあって「なるほど、Yさんはそう感じられたのですね」と、
感心したような、どこか嬉しそうな様子を見せました。
「私とmitsuさんが似ている。…なるほど」と。
その後で、「是非、山梨にいらっしゃい」と再度の誘いをして
きたのです。「あなたたちに見てもらいたいモノもあります。
恐らく、それを見た時、Yさんの感じていたモノが何か、解ると
思いますよ」と、気になる言葉をつけ加えて。
私はそれが何か、尋ねました。
しかしNさんは「直接見なければ解らないモノです」と、
にべもない答えが返ってきたのです。
結局、私とYは迷った末にNさんの元を訪れることにしました。
今になって思います。
この”目”に関するYの気にかかるひと言。
もし、これがなかったとしたら。もし…Yがきちんと自分の言葉にする
ことが出来ていたのなら。もしかしたら、私達はYさんの元を訪れる
こともなかったのかもしれません。
そうなれば、このような「共有妻」という関係もなかったと思うのです。
それだけ微妙な、まるで細い綱を渡る綱渡りのようなバランスの上に
この時の私達の関係は成り立っていたのです。