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Nさんの帰還5

その淫夢は、異常なほどのリアリティを感じさせました。

仕草や服装、オナニーの仕方は普段見慣れたYそのものでした。
朝の清潔な光りに照らされた肌の艶や、肌に浮いた汗、勃起した乳首、感じると沸き立つ
女のニオイまでもがいつも触れているYそのものだったのです。

しかし、人並み以上に高いモラルと羞恥心を持つYが、電車という公共の場で
オナニーをするなど、ましてや人に見せつけるような淫らなオナニーをするなど、とても
考えられません。Yの性格を考えれば、荒唐無稽な夢としか思えません。

にも関わらず、淫夢にリアリティを与えていたのはNさんの存在でした。
夢の中のNさんは、巌のような揺るぎない眼差しでYの痴態を優しく見守っていました。

Yは、Nさんに見守られながら、安心して自分を「委ね」ていたのです。

それは、普段のYが、自分を持たぬが故に相手の望む「Y」を演じるのとは違っていました。
Nさんの顔色を伺って、Nさんの望む淫らな「Y」を演じているのではなく、「素」のYをそのまま
見せていたのです。そこにあったのは「信頼感-絆」でした。Nさんならば、どれほど淫らではしたない
自分を見せても受け止めてもらえる、という信頼感がYを解放していたのでした。

そう、私が見ていたのはYに潜む「性欲」そのものだったのです。
(実際にYが淫夢のような性癖を持っているかは問題ではないのです)

Yが自分をさらけ出しているにも関わらず、私はYの性欲を見せつけられても、素知らぬ顔で
傍聴人を続けました。それは情動に押し流されるみっともない自分を見せたくないというつまらない
防衛本能でした。

そして私は気づきました。
私が相互オナニーの妄想や、淫夢の中で傍聴人の立場でいることが多いのは、
Yに自分を「委ねる」ことを恐がり、本当の自分を隠しているが故に、「他人」のように振る舞うことで、
真っ正面からYと向き合うことを避けているからなのだ、と。

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