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Nさんの帰還6

真正面からYと向き合うこと。
私にとって、それは難事としかいえない課題でした。

「Nさんの帰還3」のエントリーでも述べたように、私は「兄」という虚飾の仮面を
被ることで、なんとか社会で生きていられるような人間です。

「聞き分けの良い子」「手間のかからない子」。それが両親が幼い私に求めた人間でした。
私は両親を失望させないよう、必死に両親の求める自分を演じ続けました。「枷」からはみ出さぬ
限り、私は咎められることもなく、家族の一員でいることが許されました。

両親の求める「私」は、「枷」となって私を捉えていました。

成長するに従い、その「枷」は変化していきました。求められるのは、「小学生」らしい私。
「中学生」らしい私。高校生以上になると、両親からの期待に加え、社会からの期待が「枷」の
構成要素に加わります。「高校生」らしい私。「大学生」らしい私。「社会人」らしい私、と。

幼い頃から両親の顔色を伺って育ってきた私にとって、社会(他人)がその時々の私にどのような
「私」であることを求めているか、察知することは容易いことでした。幸か不幸か、私には他人が求める
自分を演じるだけの能力が備わっていました。-正確には違います。他人に失望されることが怖くて、
常に追い立てられるように努力をせざるを得なかったのです。

皮肉なことに、他人を失望させないための努力は実を結びました。現在何不自由ない生活を送る
ことが出来まているのも、Yとの結婚が出来たのも、努力のおかげであることは否めません。

大きな実りの反面で、私は決定的に失った物がありました。

…それは、「自分」でした。

誰でも多少なりとも社会に迎合することはあるでしょう。
それは社会で生きる上で仕方のない妥協です。しかし私の場合、「他人の望む自分」を演じ
続けている内に、「他人の望む自分であること」が生きる意義となってしまったのです。
改めて省みると、どこにも「自分」が存在しない空虚な状態になってしまったのです。

私を構成する要素、性格や趣味など、それらは全てが周囲の誰かや社会がその時々の
私に対して求めた物で、自分が望んで得た物は数えるほどでした。誰かに私はどのような人間か?
と尋ねられても、履歴書に書くような内容しか答えられない人間になってしまっていたのです。

気づけば私は「枷」に依存して、その枠内で生きることしか
出来ない、「枷を守る」が生きる意義となってしまった人間でした。

私にとって、「枷」は「枷」であると同時に、生きる指標でもあったのです。

…そう、私とYは、合わせ鏡のように良く似ていました。
私達は、「枷」に囚われ、「自分」を失った囚人だったのです。

私とY、「他人の望む自分であること」が生きる意義である私達が、
どうやって向き合えというのでしょう。

…そもそも、向き合うべき「自分」がないのです。

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