2ntブログ

記事一覧

Nさんの帰還7

私が淫夢から感じたこと。
それは、雁字搦めになった「枷」から解放されることは、
最早自分たちの力では出来なくなっているという事実でした。

「自分」がないというのは、考えすぎだということは自分でも良く解っています。

ただ、自分の感情を押し殺して周囲の期待に添うように生きてきた結果、
自分の感情を見失ってしまったことは確かです。素直に感情を表したり、感情を感じることが
自分では出来なくなってしまった。-私とY,共に心の不感症とでもいうべき状態に陥ってしまった
のです。

無論、幾度かは自分の感情の暴発を感じたこともあります。
数少ない経験のひとつは、「別れの爪痕」というエントリーでも触れた、
友人をサディスティックに責めた時のことです。

情動に流されるままに友人を責めながら、私は何者にも囚われぬ解放感に浸って
いました。あの時は自分の感情の赴くまま、情動の赴くままに人目を気にすることなく
沸き上がる感情を解放することが出来ました。

しかし、その後、あの解放感を求め、どれほどアブノーマルな
プレイを重ねても、あの時の解放感が蘇ってくることはありませんでした。

「寝取られ」の時も同様でした。
寝取られているという「枠内」であれば、自分がどれだけみっともない姿を晒しても
許される。あの時も、彼女を他の男に抱かせながら、彼女に対する愛おしさと共に歪な
解放感を感じていたのです。

私とY、共に「枷」から解放され、情動の赴くままに貪りあうことが出来たなら、
相互オナニーなど比ではないほどの一体感の内に果てることができるでしょう。

しかし、今の私とYは、相互オナニーでしか一体感を感じられない。
-直接的な肉体の触れあいでは一体感が得られない状態でした。

幾重にも心を取り巻く「枷」が邪魔をして、心と体をさらけ出して感じ合うことが
出来ない限り、この「枷」を破り、現実の世界で体が触れあう悦びを得る事は出来ない。

…思春期の中学生でも出来る情動に任せた交わり、それが私の望みだったのです。

そして、そのためには、「枷」を打破出来るだけの誰かの力が-「Nさん」の力が
必要だということを痛感させられたのです。

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

mitsu

Author:mitsu
当サイトの著作権はmitsuにあります。
文章の無断転載、引用等はご遠慮ください。

カウンター

全記事表示リンク