2ntブログ

記事一覧

Yが共有妻になった日4

久々に夫婦水入らずで過ごす休日となりました。

Nさんとの関係が始まってから、Yは休日はNさんの元で過ごすことが多く
なっていたのです。

私達は一旦Nさんの関係から離れるため、日光に一泊で旅行に出ました。
Nさんとこのようなお付き合いするようになって1年少々。束の間の休暇のような、
不思議な解放感がありました。

私とYは、共通の趣味であるレトロな建築物巡りや、ホテル宿泊を楽しみました。

日光市に点在する、市役所や教会、駅といった、昭和初期のモダン建築の佇まいを
楽しみました。妻がかねてより訪れたいといっていた竹久夢二美術館を訪れ、繊細な
美人画の世界を楽しみました。

日本最古のクラシックホテルに宿泊し、レトロモダンなホテル内部を子供のように
探検し、少し早めの夕食を楽しんだ後、私達は散歩がてらホテルの側を流れる
大谷川を訪れました。

そこで私はちょっとした悪戯心を起こしました。
Nさんがするように、Yの露出写真を撮ろうと提案したのです。旅先での解放感もあって、
Yは岩陰でワンピースの胸元をはだけたり、スカートをたくし上げたりと、際どい姿となりました。
しかし…違うのです。Nさんの撮影した写真のような女の色気はまったくなく、少女が背伸びしている
ような青臭さい写真しか撮れなかったのです。

それはセックスでも同様でした。
Yと肌を重ねても、以前と同じで肌と肌が触れあう安心感以上でも以下でもありません。
Nさんの元から戻って来たYを抱くような、Yの全てを私で塗り替えたいという狂おしい欲望が
沸き上がることもなかったのです。

旅行から戻ると、私とYは、Nさんとの関係について話し合いました。
その時、Yによると、YとNさんは「師弟」のような関係であることが解りました。Yにとっての
Nさんは、理想の上司のような存在。Nさんの社会性や人間性。SMの技量などの優れた面に対し、
尊敬と敬愛の情を抱いている状態だったのです。

さらにYは言いました。「多分、師弟のような関係だと私自身で思い込んで、気持ちをセーブしている
部分はあると思う」、と。そして付け加えました。「その壁が取り払われたらどうなるか、正直興味は
あります。でも、自分がどうなってしまうか解らない。それが怖い」、と。

Yは不妊症です。子供はほぼ望めません。
それ故、Yは自分が女として不完全だという負い目を負っています。少女のままでいようとするのも、
不完全な女という事実から目を背けるための防衛本能です。

私は不妊症も含めてYという女性を受け入れました。
しかし、愛情は時に大きな負い目となってYを苛みました。愛情が深まるほど、私の子供を産むことが
出来ないという負い目がYを追い込んで行ったのです。

Yは私に対して愛情があるからこそ、私の前で女になることを拒みました。私を失望させず、
かつ、自分が傷つかない方法はそれしかなかったのです。それは枷となってYを縛り付け、
女としての自分を解放することが出来なくなってしまったのです。

Yの枷が崩れた時…彼女はどうなるのか…。

Yは伏せ目がちに私に尋ねました。「私がNさんをひとりの男性として
愛しても平気ですか?」と。

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

mitsu

Author:mitsu
当サイトの著作権はmitsuにあります。
文章の無断転載、引用等はご遠慮ください。

カウンター

全記事表示リンク