「あの…」と、Yが言いました。そして「相互オナニー、しませんか?」
と誘ってきました。相互オナニーをしながら、動画の内容を反芻し、
興奮と感情を共有することで絶頂感を共有したいと思ったのでしょう。
そして、高揚感の中で心の内を伝えるつもりなのでしょう。
感情を表すことが苦手な私とYにとって、相互オナニーは感情を
包み隠さず伝えられる貴重な機会となっていたのです。
私はYの感情に触れたいと思いました。
どのような気持ちで情交したのか。
情交をして、どのように感じたのか。
今はNさんをどのような存在と感じているのか。
…あの涙はどのような意味のものなのか。
幾らでも触れたいことはありました。
また、情交をしているYを見て、私がどのように感じたのか。
触れて欲しいことも幾らでもありました。
普段の私であれば、迷うことなくYの求めに応じ、相互オナニー
に没入していたでしょう。大切な夫婦の営みなのです。
しかし、この時は、第六感とでもいうべき不思議な感覚が働いていたのです。
…セックスをしなければならない、と。
”セックスをしたい”でもなければ、
”他の男のニオイを自分のニオイで塗りつぶしたい”でもない。
ただ切実に、”この場”で”この女”と”セックスをしなければならない”
と感じていたのです。
今にして思えば、まさにその時、私達は分水嶺に立たされていたのです。
相互オナニーではなく、Yを抱くと伝えたとき、彼女はやや
戸惑ったようでした。私がこれまで相互オナニーの誘いを断ったことが
なかった-大切な夫婦の触れあいと考えていたことと、Nさんと情交した場所で
私に抱かれるということに、抵抗があったのでしょう。
しかし私の切迫した様子から、何かを感じ取ったのでしょう。
Yは「mitsuさんがそうしたいなら」と受け入れてくれました。しかし彼女は
「あの…シャワーを浴びさせて下さい」と続けました。Nさんとの情交の余韻で
昂ぶった状態ではなく、余韻の鎮めた状態で、改めて私に抱かれたいと思った
ようでした。
しかし私は「そのままが良い」と応えました。
私はみっともなく股間を精液で濡らした状態で。Yは情交の余韻で
女性器を潤わせた状態-牝の状態で。
「え…」と彼女は絶句しました。
余韻のこともありますが、潔癖症のYにとって、汚れた状態で交わることは
受け入れがたい恥辱のはずです。今までも絶対に受け入れなかったことのひとつ
でもありました。しかし、言葉にして説明は出来ませんが、その時は綺麗に取り繕った
状態ではなく、生のままの彼女を抱かなければならないと感じていたのです。
私が「生のままのYを抱きたい」となおも続けると、彼女は迷っていました。
しかし、じっと私の目を見た後で「…汚い女と思わないで下さい」と念を押してから、
受け入れてくれたのです。
そして私達は、NさんとYが初夜を迎えたベッドで-綺麗に整えてあっても、
NさんとYの情交の名残が残るベッドでセックスしました。